旧約聖書 創造の物語のリアリティと、贖罪思想の段階

旧約聖書』p8 天地万物の創造(「創世記」一―三章)

このように、祭祀文書の創造物語は、ほとんど人間の想像を絶するような、偉大な五つの言葉*1をもって始まるわけだが、ここには古代のヘブライ人の感得した生き生きとしたリアリティが込められている。人格神による七日間にわたる創造の過程といった、現代の科学からは受け入れがたい表象が用いられるとはいえ、肝腎なのはそうした時代の限界の中にある概念装置に拘泥することではないだろう。現代の科学から見れば時代遅れの神話的表象を用いてではあれ、その表象によって古代人が描きたかったリアリティこそ肝要なはずである。それは、人間を初め天地万物が何ものかによって既に所与のものとして与えられていることへの驚きと賛嘆、感謝と喜びといった、現代の我々が忘れがちな、しかしまた人間の限界と存在の神秘をめぐる真実を見詰めた、リアリティであっただろう。

旧約聖書』p20 贖罪と神義論(「イザヤ書」五三章)

(...)しかし我々は贖罪思想と言っても、いくつかの段階があることをはっきり区別しなくてはならない。まず「レビ記」などに出て来る動物犠牲の段階。次にモーセやエレミヤなどに見られる、他者の罪を自分が負おうとする執り成しの段階。しかし実際に彼らは執り成しを遂行するには至らないのである。それに対して、現実に「生命を注ぎだして死に至」(同十二節)った段階が、旧約中ただ第二イザヤ書の第四の僕の詩においてのみ報告されているのである。これは、贖罪思想の系譜の中でも、「唯一本格的な」段階であり、「唯一本格的な神義論」を「唯一本格的」たらしめるに十分なはずなのである。

難題の一つ、贖罪思想の理解のための第一歩。

*1:「初めに(ベレーシース)」「創造した(バーラー)」「神(エローヒーム)」「天(ハッシャーマイム)」「地(ハーアーレツ)」